東京地方裁判所 昭和62年(刑わ)874号 判決
主文
被告人を懲役一年六月及び拘留二〇日に処する。
未決勾留日数中四〇日を右懲役刑に算入する。
理由
(罪となるべき事実)
被告人は、右翼団体國憂会に所属する者であるが、昭和六一年一一月一五日に発生した三井物産株式会社若王子マニラ支店長の誘拐事件に関する救出問題につき、同六二年一月ころから、フィリピン共和国政府の対応の仕方に強い不満の念を抱き、具体的な抗議行動を起こすべきであると考えるようになつていたところ、
第一同六二年三月二〇日午前一〇時一五分ころ、在本邦フィリピン共和国特命全権大使ラモン・ヴイ・デル・ロサリオらに面会を強要し抗議する目的をもつて、木刀一振り(昭和六二年押第五四四号の一)及び抗議ビラ数十枚を携え、東京都渋谷区南平台町一一番二四号所在の在本邦フィリピン共和国大使館(管理者前記特命全権大使ラモン・ヴイ・デル・ロサリオ)内に一階玄関から押し入り、二階領事事務室において、領事事務を執務中であつた書記ルシアノ・デ・キロスら数名に対し、「責任者を出せ。若王子支店長の件で抗議に来た。きさまら日本から出て行け。日本人をなめるな。」などと怒号し、右木刀でカウンター及び机を数回たたき、カウンター上のビザ申請用紙入れをたたき落とすなどして、同事務室内を混乱に陥れ、領事事務の遂行を不能ならしめ、もつて、故なく人の看守する建造物に侵入し、威力を用いて同大使館の領事業務を妨害し、
第二右日時ころ、右フィリピン共和国大使館敷地内玄関前及び同大使館一階ロビーにおいて、「フィリピン政府に告ぐ」と題し「貴様等は今すぐ若王子支店長を救出して土下座しろ!貴様等はそれすら出来ない無脳な民族なのか!」などと記載したビラ数十枚を撒布し、もつて、公然、右特命全権大使ラモン・ヴイ・デル・ロサリオを侮辱し
たものである。
(証拠の標目)〈省略〉
(補足説明)
弁護人は、被告人の撒布したビラの内容からは侮辱の相手方(被害者)を特定することができないから、被告人の所為は在本邦フィリピン共和国特命全権大使ラモン・ヴイ・デル・ロサリオに対する侮辱とはいえない旨主張するが、前掲各証拠によつて明らかなように、被告人は右大使らに面会を強要し抗議する目的をもつて右大使館に侵入し、本件ビラ多数を撒布するとともに、右大使館内において「責任者を出せ。」などと繰り返し怒号して責任者との面談を要求していること、撒布にかかる本件ビラには、「今すぐ貴様等は日本から立ち去れ!」とか「そくざに日本を立ち去れ。」との記載がされていること等に徴すると、本件ビラ撒布による侮辱が右大使を含む在本邦フィリピン共和国大使館職員らに向けてなされたことが明らかであるから、弁護人の所論は採用できない(なお、検察官作成の昭和六二年九月二一日付報告書によると、本件侮辱罪につき右大使から適法な告訴がなされていることも明らかなところである。)。
(法令の適用)
判示第一の所為中
建造物侵入の点
刑法一三〇条前段、罰金等臨時措置法三条一項一号
威力業務妨害の点
刑法二三四条、二三三条、罰金等臨時措置法三条一項一号
判示第二の所為 刑法二三一条
科刑上一罪の処理
刑法五四条一項後段、一〇条(判示第一の罪につき、一罪として犯情の重い威力業務妨害罪の刑で処断する)
刑種の選択
判示第一の罪につき懲役刑、同第二の罪につき拘留を各選択
併合罪の処理
同法四五条前段、五三条一項(判示第一の罪の懲役刑と同第二の罪の拘留とを併科する)
未決勾留日数の算入
同法二一条(懲役刑に算入)
(量刑の理由)
被告人の本件犯行の動機は、右翼団体に所属する被告人が、三井物産株式会社若王子マニラ支店長の誘拐事件に関する救出問題につき、フィリピン共和国政府の対応の仕方に強い不満の念を抱き、具体的な抗議行動をとるべきであるとの考えによるものであるが、被告人が当公判廷で供述するような事実認識のもとに何らかの抗議の意思を表明しようとすること自体は、思想、表現の自由に属し、違法視されるべきものではない。しかし、その手段・方法が法治国家において許容されるものでなければならないことは当然である。しかるに、被告人の本件犯行の手段、態様を見るのに、被告人は、右の抗議行動としてフィリピン共和国大使館に侵入することを計画し、犯行前日に地図で同大使館の所在地を確認し、大使らを侮辱するビラ多数を作成した上、当日は、白昼、迷彩服に身を包み、木刀を携えて、ジープで同大使館に乗り入れ、右ビラを撒布した後、二階領事事務室において、「きさまら日本から出て行け。日本人をなめるな。」などと怒号し、木刀を振り回してカウンターや机を数回たたくなどし、領事事務を混乱に陥らせたばかりでなく、同室内にいた十数名の者に多大の恐怖を与えたものであつて、被告人の本件犯行は短絡的であり、しかも計画的かつ危険な犯行であり、およそ法治国家においては許容し難い暴挙であるというほかない。さらに、本件犯行の結果もまた重大である。本邦に設置されている外国の大使館については、我が国の責任においてその安全と静謐を保障すべきものであることはいうまでもないところであるが、被告人は前記のように大使館に故なく侵入し、大使館の領事事務を混乱に陥れて妨害したばかりでなく、一国を代表する大使に対して侮辱する行為に出たのであつて、法治国家であり国際協調主義を旨とする我が国の国際的信用を著しく傷つけたものといわざるを得ない。以上のような本件犯行の手段、態様、結果等に徴すると、被告人の刑事責任は甚だ重いというべきであるから、被告人が自己の犯行を全面的に認めて反省の態度を示していること、被告人にはこれまで前科前歴のないこと、その他被告人の家庭事情等を十分斟酌してみても、被告人に対する主文掲記の実刑はやむを得ないものと思われる。
よつて、主文のとおり判決する。
(裁判官高橋省吾)